ビビすまスタッフコラム社長「平和」があってこその「住まい」

スタッフコラム

2025.06.15 NEW
  • [社長]

「平和」があってこその「住まい」

── 不動産屋として、そして一人の人間として願うこと

こんにちは、ViVi不動産の矢郷です。

今日は、いつもの不動産の話から少し離れて、

「暮らし」と「平和」に関する思いを綴らせてください。


ミサイルが飛び交う世界で「家」は何になるのか

イランとイスラエルが互いにミサイルを撃ち合った、という報道を目にしました。

ロシアのウクライナ侵攻では、避難中の子どもが駅で犠牲になったとも伝えられています。

そんなニュースを見ながら、私は考えました。

どれだけ高性能な家をつくっても、

「戦争が起こる街」に家の意味はあるのか? と。

私たち不動産業者が扱うのは、「建物」ではありません。

そこに暮らす人の「命の場所」であり、「未来の器」だと私は思っています。


正義を振りかざす人が暴力を生む

戦争を引き起こすのは、「自分こそが正しい」と信じる人たちです。

それは国家に限らず、個人でも同じです。

SNSでも、職場でも、家庭でも、

自分の意見や正義を絶対だと信じてしまうと、

言葉はいつしか「刃」になります。

暴力とは、殴ることだけではありません。

正しさの名のもとに相手を物理的、精神的に屈服させようとすること自体が、暴力です。


戦争を“割り切り”で終わらせた世界

子供の時に読んだ短編小説で、

「戦争は国家代表の一騎打ちで決着をつける」という制度が導入された世界を描いた小説がありました。

戦争がスポーツのように中継され、誰も驚かない。

市民も軍隊も巻き込まれない。ある意味「効率的」で「合理的」な社会。

けれど物語が進むにつれ、そこに潜む異常さが見えてきます。

「命を奪うことを“手段”として容認する社会」は、果たして人間的と言えるのか。

作家の方は、あくまで“平和の皮をかぶった暴力”に対して、静かに、鋭く問いかけているのです。

子供のころには「すっごい良いアイディア!」と思ってしまいましたけど・・・・


「争いたい人たちだけで、どこか別の場所でやってくれ」

本音を言えば、

戦争をしたい人、権力を誇示したい人、

金のために他人を踏みつけたい人たちだけで、どこか誰もいない島に集まって、勝手にやってくれと思っています。

私たちのように、家族との時間を大切にし、

静かに暮らしを築こうとしている人々を、

巻き込まないでほしい。


けれども…非暴力を掲げた人も、暴力によって命を奪われている

この理想すらも、どこかで打ち砕かれる現実があります。

非暴力を掲げたマハトマ・ガンジーは、銃弾に倒れました。

キング牧師も、暗殺されました。 平和を訴えたラビン元首相も暗殺されました・・・

ネルソン・マンデラも、獄中で何年も苦しみました。

暴力に抗わないという“最も強い勇気”を持った人々が、

結局、暴力によって殺されてしまったという事実。

ここには、誰もが答えを出せない問いが残ります。

「非暴力を守るためには、何らかの“力”が必要なのか?」

「無抵抗でいることは、本当に正義を貫く手段になるのか?」


私はこう思います──「声」と「対話」を諦めないことが、最大の抵抗だ

非暴力を貫いた人々が命を落としたからといって、

彼らの思想が無力だったとは思いません。

むしろ、暴力によって命を奪うことでしか止められなかったという事実が、

非暴力の力の大きさを物語っているのではないでしょうか。

そして私たちにできることは、

小さくても「声を上げる」こと、

争わずに「語り合う」ことを、

諦めないことだと思うのです。


富山という街で、不動産屋にできる平和活動

この穏やかな富山という街で、

私たちは「住まい」を通して、

人々の生活を守るお手伝いをしています。

それは、小さな営みかもしれません。

でも、誰かが安心して笑い、眠り、

人生を築ける空間を守ること。

それは、平和をつなぐ仕事だと信じています。


争わない。

でも、黙らない。

このバランスがとれる社会であるように。

そんな願いを込めて、

今日も一軒、一組のご家族に

安心して暮らせる住まいをご案内しています。

プーチン、トランプ、ネタニヤフ・・・

自分の主張を暴力的にしか表せない可哀そうな人達をニュースで見るたびに、嫌な気持ちになります。

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令和7年6月14日

ViVi不動産株式会社

矢郷 修治

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